等身大のわたしブログ

頑張り屋のわたしのための日記

ストレスも出来事も中立的に受け止める日々

こんばんは。

皆さんお元気でしょうか。

 

私の住む地域では緊急事態宣言が発令され、私の周りの人たちの仕事にも影響が出ています。

時短営業要請による、飲食店やライブハウスの営業時間変更のお知らせをずらずらと目にしました。

目に留まるひとつひとつが気がかりで、昨夜はまた何か得体のしれないものが迫ってくる気配を、人々の怒りや不安のエネルギーを、インターネット越しに感じました。

その怒りや不安のエネルギーは去年よりも大きく、転がってきた雪だるまのようにより多くのエネルギーを巻き込んで迫ってくるように感じられました。

 

職場と、私のプライベートの繋がりとでは、聞こえてくる考えが違います。

経済的には守られた場所にいる人たちと、危機に直面している人たちの声、そのどちらもがそばにあります。

誰の言うことも多分間違っていません。

立場が違うので、間違いようがないでしょう。

いろんな方角から、一理あることが、共感できることが、たくさん聞こえてきます。

無理に誰かの味方にならなくてもいい。

ただ、「自分はこの状況を乗り越えていく一人なんだ」という自覚が、時々瞬間的に強烈に、鮮明になるのです。

 

スマートフォンをスクロールしていくうちに目の奥が熱くなり、「フレフレ、だいじょうぶよ」と念じました。

私も自分がそれどころじゃないのですが、それどころじゃない私も今日もこんなに元気よ、と心の中で励まし、祈りました。

そういう心の中のことを、私は信じます。

そうすると、実際に信じたように動けるようになることが多いからです。

「こうしたら絶対こうなりますよ」、とは言いません。

私はそういうのは信じないんです。

この世界で、必ずしも、行動に対して狙った結果はついてくるわけはないはずなんですが。(ギャンブルがそうです)

でも、ワクワクしたら、そのワクワクした気持ちを信じてやってみるかもしれません。

「こうしたらあなたもこうなれますよ」っていうのは、商売ですもの。

それを試したり楽しんだりするのも、私の自由です。

 

「自己責任」という言葉は、あまり使いすぎると怖いです。

病気になることも含めて、世の中には「運」があります。

よい結果も悪い結果も全部その人の行動によって起こされた、というような解説が、今はたくさんあります。

私はそれが少し、いやとても、息苦しいです。

「運」という操作できないもの、未知の部分、それが怖いからと言って、全部説明できることにしています。

私はだいたい説明可能な秩序のありそうな世界で、隅の方に説明できない何者かの気配をいつも感じながら生きています。

怖いけど、一方でそれは自分を守ってくれるものかもしれない。

その、よくわからない未知のものにどう動いてもらえるのかが、私の普段の心の在り方と関りがあるのではないかと思っています。

 

年明けからまたストレスを感じやすくなりました。

冷たい空気のせいもあるかもしれません。

帰ってきてご飯を食べて、お腹がいっぱいになってもまだ食べ続けました。

これは、私がストレスを溜めて苦しいよ、助けて、というサインです。

忘れがちなのですが、さっきまた気がつきました。

 

もともと一人であることは、私にとっては外界のストレスから身を守ることですが、一方で一人から抜け出せないというストレスも生じてきます。

今はその狭間で疲れた身体を癒したり、またどうにも癒せなかったり、ということを日々繰り返しています。

コロナ禍以前から私が付き合ってきた課題です。

コロナ禍においてより一層そういう自分との付き合いが深まっていきます。

いいでしょう。

今日はだいじょうぶ。

私にはまだ救いがあります。

 

どことなく深刻な語り口調になってしまったかもしれません・・・。

お疲れモード、のようです。

もし辛いとき、その中で、それでも自分にはどんな救いがあって、どんなことを選べるのか考えてみるのが好きです。

何もない、ということは、そうそうないと思うのですが、いかがでしょう。

ちょっと笑ってみる、とか、ちょっと一瞬起き上がってみる、とか、なんでもいいんです。

自分に選べることを掴んで一瞬一瞬を刻んでみてください。

その先にたどり着く場所は、知らなくてもいいんです。

一瞬一瞬が多分、その場所ですから。

 

それでは、私は早めに就寝しようと思います。

食べすぎた私が言うのも気が引けますが・・・皆さんも、自分を労わってくださいね。

お付き合いいただきありがとうございました。

おやすみなさい。