等身大のわたしブログ

頑張り屋のわたしのための日記

自分の重さを受け止めて、軽くする

こんばんは。

皆さんお元気でしょうか。

 

私は今日ストレスによりダウンして、仕事を休みました。

目覚めたときから、久しぶりの頭痛でした。

当日に体調不良で休んだのは、この3年間で2回目です。

頭痛なのに、ずる休みするような気持ちがしました。

きっと、無理をすれば働ける可能性を感じているし、そうするべき、とどこかにこびりついた考えが剥がれていないのでしょう。

就業開始時刻だなぁと思いながら布団の中でうずくまりました。

 

布団の中で、ああ、これが「自分を受け止める」ことか、と何度も気づいては忘れていくことに、再び気づく瞬間が訪れました。

私は日頃から外側の嫌な出来事や、人の気持ちを理解しようとしているものの、自分のあるがままの醜さとは敵対し続けていることに気がつきました。

私が今日受け止めるべきは、外側に感じる醜さではなくて、私自身の醜さだ。

そう思いました。

それで十分なんだ、と思いました。

布団の中でうずくまると、自分を抱きしめてあげているように感じました。

私以外の重いものを、今日は背負えない。

何も、私の心以外の何も受け止められない。

布団をかぶる動作で外界を遮断するようにして、私は意識もろとも内側へすぅーっと潜り込んでいきました。

 

できればより多くの時間、自分が好きな自分でいたいけれど。

嫌だなと「感じる」ことさえ許せなくなっては、また息苦しさを自分で生み出してしまいます。

目の前のちっぽけな(でも確実にストレスである)嫌なことより、もっと広い世界を見ていたいけれど。

嫌なことはどうしたって起こるのです。

そこで生じる自分の自然な気持ちや、そこから生じる醜さの数々。

そんな私でもいいじゃん。

 

時々自分が「与えすぎている」と感じたときも、心が疲弊します。

仕事でも、恋愛でも、私にはありがちです。

GIVE & TAKE のGIVEばかりになっていない?

もちろん私は自分が被害者のつもりはありません。

自分が選んでしていることだから。

いつも見返りを求めているわけでもありません。

ただ、疲れ始めたら、自分が納得できていないということなのかもしれません。

それは、ただの自分の感覚でしかありません。

 

頼られることと、甘えられることも違います。

様々な場面で、私は、それを見極められている?

それ以上はダメです、という境界線を引けている?

疲れるたびに、私は自分に問いかけます。

 

そうしてあげないと自分は許されない。

そうしてあげないと自分は愛されない。

・・・で、その人に許されなかったら、愛されなかったら、何か問題でもあるの?

 

周囲への思いやりを持ちつつ、自分が疲れないように、自分に優しくあることのバランス感覚。

日々磨くしかありませんし、日によって調子だって違います。

悪い日を基準に日々を見なくたっていいんです。

人の体調は固定されたものじゃないんですから。

ちょっとした言葉がきっかけで、ふとうまくなってしまうこともあるかもしれません。

そういう自分で経験していくしかないことを探していくのは、私はきっと得意だと思うんです。

 

インスタントな表現を頻繁に見かけるようになりました。

でも、私がもう知っていることは、たいていは一回の何かで生まれ変わることなんてないこと。(これも絶対とは言えませんけど)

何度も何度も気づいたらやること。

何度も何度もやること。

「うん、それで合っているよ」と、時々自分に声をかけます。

 

そうやって、私はもっと自分の住む世界や、自分の経験の質をあげていきたいのです。

必ずしも実際にいる場所が変わるという話ではなくて。

 

 

頭痛がまだとれないのですが、今日は綴る言葉が出てきたため少し起き上がりました。

もう一度薬を飲んで寝ます。

お付き合いいただきありがとうございました。

どうか私のストレスは背負わず、ご自身にストレスがありそうなら気づいてあげてくださいね。

それではまた。